シリーズ【イギリスの幼児教育】 第4回:『義務教育の父』ロバート・オーウェン
イギリスの幼児教育シリーズでは、イギリスとゆかりのある幼児教育・保育の偉人たちを紹介していこうと思います。今日は、『義務教育の父』と呼ばれているロバート・オーウェン(Robert Owen, 1771-1858)についてです。
時は産業革命時代
オーウェンの功績をよりよく理解するためには、まず当時の時代背景を知る必要があるでしょう。18世紀末から19世紀半ばと言えば、日本では徳川第10代将軍・家治~第13代・家定の治世にあたります。浅間山が大噴火して、伊能忠敬が日本地図を作り、黒船が来航した怒涛の時期です。その頃のイギリスは産業革命の真っ只中。今までは「手工業」であったものがどんどん「機械工業」へと代わっていき、人々は家を出て工場へ働きに出向くようになったわけです。すると、今まで労働者の家庭内で行われていた子育てが、両親は共働きで工場へ出てしまうため、小さな子ども達は放っておかれるか、年長の子どもたちが面倒を見るというようになってしまいました。また、機械化といってもまだまだ工場内では多くの人手が必要であったため、子ども達も当たり前のように働いていた時代でした。それまでのイギリスにおける教育とは、富裕層の子ども達か、キリスト教会が運営する慈善学校でキリスト教を学ぶといったものに限られたものであったこともあり、労働者階級の子ども達にとってはとても厳しい状況だったのです。
世界初の「保育園・幼稚園」
そんな時代にオーウェンは、紡績工場を経営する実業家でした。人手を必要とする工場経営ですが、子ども達が労働に駆り出される状況には実は心を痛めていた人物だったのです。そこで、スコットランドのニュー・ラナークにある自分の工場敷地内に世界で初めて「保育園・幼稚園」を作り上げ、10歳未満の子どもたちを集めました。当時は「保育園・幼稚園」という呼称は無かったため、その施設は「性格形成学院」と呼ばれていました。これは「人間は本来善であるが、その後の環境によって悪にもなってしまう。幼少期の環境が人格形成に重要な影響を与えるのだ。」というオーウェンの考えをそのまま表している名称です。このように、最初の保育園・幼稚園は公的な機関ではなく、民間から始まったのです。
オーウェンの幼児教育プランは「直観教育」に影響を受けたものでした。これは、教育は本や教師の言葉から学ぶのではなく、子どもの実体験を通じて、見て・聞いて・触れて・感じながら子どもの好奇心を刺激するものでなくてはならないとするものです。また、健康であることも教育の一部と考え、外にでて日光を浴び体を動かすことも積極的に取り入れました。この辺りは、現在のイギリスの幼児教育に多分に通じるところがありますね。
「工場法」の制定は「義務教育」への先駆け
その後、オーウェンは「工場法」の制定に尽力し、子どもの労働の禁止や制限を加えることが法律化されました。工場法は何度も改正されたのですが、残念ながら、オーウェンの存命中には彼が望むような子どもの教育面を充実させるまでには至りませんでした。しかし、オーウェンの意思はしっかりと引き継がれ、彼の死後1880年に「就学義務」が確立され、1891年には「無償学校法」が制定されました。これがいわゆる「義務教育」の始まりで、オーウェンが『義務教育の父』と称賛される所以です。
現在、ユニセフの「子どもの権利条約」でも唱えられているような「教育を受ける権利」や「労働から守られる権利」などは、こういったオーウェンのような先人達の活動の一つ一つが積み重なり繋がっているのだという事が、歴史を振り返るとよく分かりますね。
次回は、マクミラン姉妹をご紹介します。